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確定申告で露呈した河野流DXの正体|片手落ちのマイナポータル連携と二度手間の真実

確定申告で露呈した河野流DXの正体|片手落ちのマイナポータル連携と二度手間の真実

2月に入り、今年もまた確定申告の季節がやってきた。個人事業主としての所得をまとめ、領収書を整理する中で、政府が鳴り物入りで推奨した「マイナポータル連携」による医療費控除の自動化に淡い期待を抱いたのだが、その期待は見事に打ち砕かれた。

今回の確定申告の準備を機に、医療費情報の取り出しを起点として、当時「デジタル大臣」として君臨した河野太郎氏が推し進めてきた「DX化」とは一体何だったのか。その本質と、現場で露呈している「自分都合主義」の正体を深く考えてみたい。

そもそも目的は「デジタル化」だったのか?

まず整理しなければならないのは、私たちが目指すべき「DX」と、単なる「デジタル化」の決定的な違いである。

アナログな情報を単にデータに置き換える「デジタイゼーション」や、個別の作業をIT化する「デジタライゼーション」。それらの先にあるのがDX(デジタルトランスフォーメーション)だ。その目的はIT技術を使って既存の古い仕組み、組織、さらには社会の文化そのものを根底から作り変え、ユーザーに新しい価値を提供することである。

今回の施策は、紙を画面で見られるようにしただけの「不完全なデジタル化」であり、DXという言葉を冠するのであれば評価は「落落第」と言わざるを得ない。

河野太郎はDXのどこまでをできたのか?

河野太郎氏は、デジタル大臣就任中、この「DX」という言葉を誰よりも多用した。彼は「単に紙をデジタルに置き換えるのはデジタル化に過ぎない。仕事のやり方を変えるのがDXだ」と繰り返し説いていた。だが実態はどうだ。

アナログの破壊者としての功績

河野氏の功績は、DX以前の「前時代的な壁」を取り払ったことにある。フロッピーディスクやハンコといった遺物を物理的に排除し、行政をデジタルが通る「更地」にした。マイナンバーカードを全国民に持たせようとした突破力は、確かにすごかったと言えるだろう。

決定的な「片手落ち」:ユーザー体験の不在

しかし、彼ができたのはそこまでだった。入り口はカードだが、中身の処理は2ヶ月待ちという現状は、システムの裏側にある「昭和の事務フロー」という本丸を、彼が結局壊せなかった証左である。真のDXならば、1月に申告する人のためにリアルタイムでデータを確定させる仕組みの再構築に踏み込むべきだった。

デジタル化の皮を被った「昭和の事務」という欺瞞

マイナポータルを開き、医療費情報を取得しようとして愕然とする。12月分のデータがどこにもないのである。2月になっても昨年のデータが揃わない。政府はマイナ保険証への移行を半義務化し、デジタル化を強調してきたが、実態は昭和の「月単位のバケツリレー」のままである。

医療機関、審査機関、保険組合。このアナログ工程を温存したまま表面だけをデジタルに置き換えた結果、納税者が一番割を食うという皮肉な事態が起きている。これは利用者目線を二の次にしてきた「行政の自分都合主義」の姿そのものだ。

現場で起きている「二度手間」という悲劇

マイナポータルが不完全なのはスピードだけではない。自由診療、通院交通費、市販薬……これらはデータに載らず、すべて「ユーザーの手入力」だ。結局、我々納税者は、不完全なデータを参照しながら手元の領収書をめくり、そのズレを修正するという、アナログ時代よりも複雑で神経を使う作業を強いられている。

結論:やり切ってほしかった、という無念

結局のところ、今回の「マイナポータル連携」が私にもたらしたものは、効率化などではなく、単なる確定申告の準備の「二度手間」でしかなかった。

デジタルとアナログを中途半端に混ぜ合わせたせいで、確認作業はむしろ煩雑になり、時間を奪われている。これなら最初から領収書を一枚ずつ打ち込んだ方がどれだけ精神的に楽だったか。私は、この「中途半端さ」に憤りを感じている。

河野氏があれほど「DX」を多用し、強引に普及を進めたのであれば、その責任としてシステムを最後まで「やり切って」ほしかった。土台だけ作って放り出すのではなく、データが即座に反映され、すべてがデータ上で完結する。そんな「真のDX」の景色を、我々納税者に見せてほしかったのだ。

便利になると信じて協力した国民に、この二度手間を強いる。これこそが、日本のDXの限界なのだろうか。来年こそはこの「片手落ち」が解消されることを願うが、今の行政を見ている限り、それはまだ遠い夢のように思えてならない。

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